最新ニュース

2010/11/13号

緊急告知

ご 挨 拶

         「裸足の球児たち」発刊に際しまして、ご挨拶を申し上げます。ミャンマー野球が2000年より10年間の歩みを遂げられましたのも、皆様のご支援、ご協力の賜物と心より深謝申し上げます。更なる発展を目指して、青少年の育成に全力を傾けていく所存でございます。今後とも、引き続きご協力をお願い申し上げます。また、ご協力頂いた皆様方の思いも同時に読者の皆様にお伝えできるよう願っております。そして、私の執筆に至りました思いを拙著よりの引用文にて紹介させて頂きます。
1995年、私が国連職員として赴任以来、それまで知り得なかったミャンマーと日本両国の歴史的関係に触れる多くの機会に巡り合った。この国を旅する多くの日本人が、ミャンマーの人々と接する中から感じる思いを、私も少なからず共有してきた。先の大戦最後の激戦とも言われるインパール作戦、その戦火の中で、多くの人々の命が奪われた。今なお、多くの日本人の遺骨も祖国に戻れぬまま、この地に眠っている。両国の歴史を知れば知るほど、人々の心の中に残る、目に見えない「負の遺産」が頭を過ぎり、大袈裟だが日本人の1人として何かしなければという焦燥感にとらわれた。突如舞い込んできた野球指導の話は、それまでの人生と何のきっかけも接点もない全く別世界のものであった。しかし、何故か、頭の片隅から消えることない不思議な思いにとらわれ続けた……。平和であればこそ・・・・・。
甲子園球場で繰り広げられる春夏の高校野球大会。多くの人が興奮し、感動し、涙する。それは、球児たちの一人一人にドラマがあり、そのクライマックスにこの大会があるからだと私は思う。ミャンマーの「裸足の球児たち」が野球に関わった歴史は確かに浅い。しかし、歴史の長さに関わらず球児一人一人にドラマがあり、私はそんな一人一人のドラマを、どうしても残しておきたく執筆を決心した。順当に育った子、また、育て切れなかった子、眼を閉じると数多くのドラマが浮かんでくる。ミャンマー野球の10 年間の足跡とともに、「裸足の球児たち」のドラマ、そしてミャンマーという国の今の普通の人々の暮らしや思いの一端を伝えられたら、と思う。2000年3月25日、ミャンマーの青空高く白い硬球が舞い上がった時から、ミャンマー野球の発展にこれまで携わってきたミャンマー人と私たちの歩んできた道、そしてミャンマー球児たち一人一人に違った人生があり、歩んできた形も違っている。「野球」という未知の世界に挑戦し続けたミャンマー球児たちの思いを、是非、読者の方々と共有したい。私が心から誇りに思う「裸足の球児たち」。彼らの姿は、いつも明るく光り輝いている。そして、その輝きは色あせることなく、さらに磨かれ「夢の白球」をこれからも追い求めていくだろう。長い野球の隔たりを少しでも埋められるよう、ミャンマーの若者たちとともに、これからも努力を積み重ね、野球を通じて多くのメッセージを伝え続けたい。


2
010年10月 ヤンゴンにて
            岩崎 亨                          
岩崎無双塾代表        
ミャンマー野球連盟特別顧問